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2006年2月の13件の記事

2006年2月27日 (月)

ベートーヴェンの「第九」

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久しぶりにCDで第九を聴きました。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調(作品番号125)は、ベートーヴェン9番目、そして最後のの交響曲であり、1824年に完成した作品です。この曲の第4楽章には4人の独唱と混声合唱が導入されたために「合唱付き」と呼ばれています。特に第4楽章の旋律は「歓喜の歌(喜びの歌)」と呼ばれており、フリードリヒ・フォン・シラーの詩に曲をつけたものです。第九といえば指揮 がフルトヴェングラー(ウィルヘルム) で バイロイト祝祭劇場管弦楽団 の演奏(写真のCD)がすばらしいと思います。

「第九」はといえば、鳴門市の板東俘虜収容所で演奏された捕虜達による演奏会が、本邦初演の「第九」シンフォニーというのが定説となっています。鳴門市では現在でも初めて第九が演奏された6月1日を第九の日と定め、6月の第一日曜日に演奏会を開催しているそうです。

そして、「第九」は、日本国内では年末恒例の演奏があまりにも有名です。実は年末の演奏の「第九」の起こりは、昭和18年の東京音楽学校(東京芸術大学音楽部)の奏楽堂で行われた出陣学徒壮行の音楽会といわれています。太平洋戦争の状況が悪化する中、成人年齢に達した学生へも徴兵令が下りました。彼らが入営期限を間近に控えた12月の初旬、繰り上げ卒業式の音楽会で「第九」の4楽章を演奏したのです。

  やがて太平洋戦争も終わり、出征した者のうち多くが戦死し、生きて帰ってきた者達で奏楽堂の別れに際に演奏した「第九」を再び演奏したいという希望が出てきました。畢竟、「年の暮れの第九」は戦場に散った若き音楽学徒への鎮魂歌(レクイエム)だったのですね。

戦争の犠牲者といえば、学徒特攻隊員の遺稿集である「聞けわだつみの声」を思い出します。読まれたことのある方もいらっしゃるとおもいますが、親や兄弟と別れて死を覚悟してお国のために散っていった多くの命の声。こういった犠牲のもとに今の日本があることを再認識させてくれます。ちょっと暗くなってしまいましたね。

「第九」は近年では、単に演奏を聴くだけではなく、実際に合唱を行なう方に回る、参加型のコンサートも増えつつありますね。あの曲歌ってみるとかなり気持ちよいのです。でも、日本での圧倒的な人気の一方で、ヨーロッパにおいては、オーケストラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は決して多くないのです。文化の違いが感じられて、これは面白いですね。

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ところで、第九のメロディーは鬼才スタンリーキューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」でも使用されています。1971年の映画としては信じられないぐらい画期的な、前衛的は映画です。主人公はアレックスという15歳の不良少年です。彼はシングインザレインのメロディーをBGMに、楽しみながらレイプばかりか、殺人までも日常的に犯している、ある意味、救いようのない不良少年グループのリーダーです。彼にはませたところもあって、活動の後に、独りになったときに、ルートビッヒ(=フォン=ベート-ヴェン)の第九に聴きほれるのです。

このアレックスが、ある殺人を犯したときに、仲間の裏切りによって投獄されますが、彼を更生するためにマッドサイエンティストを中心にしたグループにより「ルドヴィコ治療」なるものが行われます。その治療は、アレックスを椅子に縛りつけ、まぶたにクリップをつけて目をつぶることができない状態にし、けんかや暴力や殺しの映画を見せ続けるのです。このときの更生映画のBGMにアレックスの崇拝している第九が使われました。彼は「(大好きな)この曲だけはやめてくれ!」と叫びますが、非情にも 実験は短期間に成功しました。アレックスは、ほんのわずかな暴力や大好きな第九にも吐き気を覚えるほどの嫌悪感を強制的に植え付けたのです。ところが、晴れて自由の身なって、暴力を嫌悪するようになり、更生施設を出たアレックスを待ち構えていたのは、過去に傷をつけた人たちからの執拗なる復讐です。

詳しくは映画を見ていただきたいですが、第九を聴くと、あの不思議な、目に焼きついた映像を思い出してしまいますね。

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幼稚園の同級生からアドバイス

僕の幼稚園と小学校の同級生で、再度、東大の研修医で一緒になった友達がいます。ちなみに彼は、”小早川伸木の恋”のときも、一緒にインタビューを受けたりしました。なんだか昔から彼とは深い縁を感じるのですが、その医師が僕のブログを読んで耳鼻科医としての意見をくれました。確かに最もな意見なので、そのままご紹介します。

”耳鼻科医としての意見を少々。うちは結構プロの歌手がくるのですが、もう明日本番というときは、ステロイド点滴、プラス ステロイド 吸入をやっています。家ではぜんそく用の、フルタイドエアーなんかわたして、本番前にいっぱいやれといっています。”

日本を代表する声楽家や歌手、声優の皆さん。朗報です。

また、、僕のブログの2006年02月17日の記事で、事故にあった子供を救う方法 についてですが、

”小児の異物で、掃除機を使うのは正解ですが、最初にスウィッチを入れておくと、舌にくっついてしまうので、なるべく奥に入れてから、スウィッチを入れましょうと講習会では言っています。”

なるほど、確かにその通りですね。過去のブログにも付け加えさせていただきました。

ちなみにこの友人、明日(というか今日ですが)僕のクリニックを訪問してくれる予定になっています。ひさしぶりに会うので楽しみです。

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2006年2月23日 (木)

"簡単"という言葉の重さ

ことばの使い方は難しいですね。特に感情が入る場合、同じ言葉を使用しても、まったく違った効果をもたらす場合があります。さらに言葉を受ける場合も特にこちらに精神的な余裕がなく、切羽詰っている場合は尚更、通常とは違った解釈をしてしまう場合もあります。現代社会では人間関係の希薄化が起こり、個人個人の価値観の多様化が起こっています。つまり、“あ”といったらすぐにそれを察して“うん”と言ってくれるような、言葉のいらないコミュニケーションが日本人同士でも、さらには家族同士でも難しくなりつつあるのです。

僕は手術室にかかわる医師として10年間、小児の心臓の手術や、脳を開ける手術、交通事故による大きな怪我の手術まで、ありとあらゆる手術に立ち会ってきました。自分がオペに立ち会っているときは、手術には技術的にやさしいものと難しいものの両方があることを実際体験してきたので、患者さんに手術の話をするときは、それが技術的にやさしいものであった場合、「簡単な手術だから大丈夫ですよ」と必ず言うようにしていました。そう言うことで、手術という非日常の、健康であれば体験する必要のないものに対峙しなければならない患者さんに、少しでも安心感を与えてあげたかったからです。

けれど、その自分の考え方が間違っていたことに気付いた事件があります。僕の子供が生まれて3週間後に鼠径ヘルニアの手術をしなければいけなくなったときのことです。主治医が僕に向かって「簡単な手術だから大丈夫ですよ」と、あの頃の僕と同じ顔、同じ口調で言ったのです。医師という自分の職業を脇に置き、手術に立ち会う患者、そして家族の側に立った僕にとって、その言葉は実に腹立たしいものでした。確かにヘルニアの手術は難しいものではありません。理性的にはもちろんわかります。けれど、命よりも大切な子供の生命を預けなくてはならないときに、「簡単」という言葉の不謹慎さをはじめて感情のレベルで理解したのです。それからは、患者さんの気持ちを患者さんの目線に立って考えたうえで言葉を使おうと努力しています。あの時自分が味わった気持ちを忘れないように・・・。

医は仁術。治療は実際に手をあてる手当て。そういった時代には人と人とのかかわりがもっとも大切なものでした。現在の診療医はコンピューターに向き合って患者さんを見ずに診察し、血液検査、超音波エコー、CT、MRIなどの多くの医療機器を介在させて患者さんを診る事になります。医療の面でも技術的は進歩ばかりが目につきますが、本当は、人とのかかわり方が現在、もっとも見直されなければならない時なのかもしれませんね。

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2006年2月17日 (金)

事故にあった子供を救う方法

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    以前に都立の看護学校で救急医療の講義を担当していたことがあります。100人ぐらいの看護婦さんの卵を教えるのは楽しかったですが、彼らの集中力も限度があります。いくつか興味を惹く話をした覚えがあるのですが、医学的にもとても受けた話をします。

以前に脳が使用することの出来る栄養素は、脂肪、炭水化物、糖のうち、最後の糖だけだというコラムを書きました。糖を分解するためには必ず酸素が必要です。1つのグルコースが分解されると、ATPというエネルギーが38個出来るのです。組織で酸素が足りなくなると、グルコースは乳酸という物質に変化して、ATPを2つ作ります。乳酸は、体のをだるくします。何だか体がだるく、疲れが取れないというのも乳酸の代謝が悪いことの影響のことが多いのです。余談ですが、いわゆるにんにく注射と呼ばれる、ビタミンB1を注射する療法は、ビタミンB1が、乳酸を消費して、通常の回路に戻すことを手伝うのです。だから疲れを感じるときにはにんにく注射をすると良いのです。しかし、脳は他の組織のような便利な対応はありません。大人で脳に酸素が行かない状態が4分以上続くと、間違いなく脳が障害を受けます。これは酸素が脳に供給されないと、エネルギーが使えずに、脳が維持できないからなのです。

ところで、表記のように子供が長時間、水没してしまったのに、何の後遺症もなく生き返ったと言うニュースを耳にすることがあります。6歳以下の子供の場合は、脳の構造がちょっと違うのです。脳死の概念も6歳以下の子供は例外とされています。胎生期には、子供は低酸素の状態で生活しています。お母さん静脈血で生活しているので当たり前です。そのときには、大人と違った特殊なヘモグロビンを使用しているのです。正常産の新生児黄疸というのがありますが、それは、この低酸素でも対応できる特殊なヘモグロビンが破壊され(最終的にビリルビンと言う黄色い物質に代謝されます。汚いですが、ウンチの黄色はビリルビンです。)、大人のヘモグロビンが作られる過程なのです。そしてもう1つ、この胎生期には脳が、糖だけでなく、脂肪(ケトン体)を利用できるリザーブシステムを持っています。ケトン体の分解には酸素が必要ありません。6歳以下の子供の場合、急激に酸素が低下し、体温が低下したときには、このリザーブ回路が働き、酸素のない状態で脳を保護する遺伝子が発動する場合があるのです。

言葉は変かもしれないけれど、実は動脈を切った様な特殊な場合を除いて、人間を数分以内に殺すのは実は案外と難しいのです。たとえば、腸が飛び出てしまったような外傷を受けた場合でも、出血が少なければ、約3時間は生きられます。心筋梗塞でも30分以内に(つまり救急車が来ることを待てれば)生きられます。つまり救急車を先に呼ばなければならないのです。太い動脈を切ってしまった場合は押えるしかありませんが、唯一、救急車を呼ぶ前に我々が処置をしなければならないのは、呼吸系のトラブルです。それこそ4分以内に勝負が決まってしまいます。子供さんがコインを詰まらせたり、お年寄りがお餅を詰まらせたりしたときが、もっとも危険です。そんなときは、まず、掃除機を使って吸い出してください。それで命が救われる場合があります。覚えていてくださいね。

ちなみにこの記事を読んで、僕の幼稚園と小学校の時の同級生、そして東大の研修医でも一緒だった耳鼻科医師がコメントをくれました。鋭い指摘だったのでそのまま引用します。

”小児の異物で、掃除機を使うのは正解ですが、 最初にスウィッチを入れておくと、舌にくっついてしまうので、 なるべく奥に入れてから、スウィッチを入れましょうと講習会では言っています。”

なるほど、小さなことですが、気が動転しているときには重要な情報でよね。皆さん覚えていて下さい。これで1つでも命が救われると良いのですが。(笑)

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2006年2月16日 (木)

代謝とダイエット

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人間の消費カロリーを決定しているのは、基礎代謝量だと言われています。「基礎代謝量」とは、一体なにを指すかご存知ですか? 人間が日常生活を送るためには一定の体温を維持することが必要となります。そのために必要なエネルギー量・・・簡単に言ってしまうと息を吸って吐くためだけにどの程度エネルギーを消費するか、それがこの「基礎代謝量」と言うことですね。基礎代謝量の消費カロリーは全消費カロリーの8割をしめていると言われています。運動や、食事制限でコントロールできるのはわずか2割のことなのです。

基礎代謝量の多くの部分を占めているのは、その人の筋肉量だと言われています。低体温の人は、概して筋肉が少ない。ですから絶食することによるダイエットは、筋肉量を減らしてしまうので、基礎代謝量が落ちてしまうのです。以前と同じ量を食べてしまうと、リバウンドしやすいと言うことになります。

ダイエットは、結局最後は食べる量を減らすしか方法がないといわれてきました。運動して消費できるカロリーは、思ったよりも少量なのです。3km走ったところで、お茶碗一杯分のご飯のカロリーも消費できません。その程度のカロリーなら、運動後のビール一杯でもう補われてしまうのです。

絶食する、もしくは食事を減らす方向でダイエットしてしまうと確かに痩せることは出来ます。食事がないと、まず生体は、体内の筋肉を分解します。筋肉が分解されるとケトン体という物質が増えるため、頭痛が起こり、いらいらして、さらに糖分が少なくなるために、脳の回転効率が落ちます。パソコンの前に一日中座っていたり、会議が多いような頭脳労働に携わる人にとっては、仕事をするという日常生活の基本をまっとうすることさえ困難になります。

現在、アンチエイジング・ドクターズで、僕はクリニック経営企画を担当しています。去年は紀尾井町に日本で初めての本格的なメディカル・スパを作りましたが、今年は銀座に「メタボリック症候群」をテーマとしたクリニックを作ろうと思っています。ここでは、画期的なITシステム主導の医学的ダイエットが大きな柱となる予定です。知的労働者でも、日常の生活を送りながら安全にダイエットが実現し、かつ、ダイエット期間中の物理的心理的ストレスを心身両方からサポートしていきたいと思っています。ダイエット以外にもアトピー性皮膚炎ほか生活習慣病に対し、各種検査システムを導入し、おもしろいアプローチで挑もうと思っていますので、乞ご期待。オープンは2006年4月の予定です。

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2006年2月12日 (日)

フィンランド EADV

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フィンランドのサーリセルカで行われたヨーロッパ皮膚泌尿器科学会(EADV)に参加してきました。もともと極圏にあるこの街の人口は300人程度なのに、今回この学会のためにおそらく2000人近い皮膚科医が世界中からこの街に集まったのです。大変な賑わいとなりました。街にある3つの大きなホテルをすべて借り切った規模で行われましたが、そのホテル同士が遠くて、寒い中、防寒服を着込んでの移動にくたくたになってしまいました。

サーリセルカについたのは夜中でした。おそらくマイナス20度近かったのでは?? ホテルの会場の氷でEADVと彫刻がある前で写真を撮りました。ちなみに、この写真をとった後、いきなりデジタルカメラの液晶が割れてしまいました。写真は撮れるのですが、液晶で写真を確認できないのです。困ったなあ・・と感じるとともに、毎日いかに文明の利器に頼っているかを思い知らされました。

学会の行われたホテルの1つである、Hotel Riekonlinnaです。僕が泊まったビレッジから雪深い中、15分ぐらい歩いて到着します。学会が始まる8時前ですが、まだ日が出ていません。寒かったです。

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今回のEADVは、ドイツ人の医師による、炭酸ガスレーザーによるフェイシャルのリサーフェシング(肌の入れ替え)の演題が面白かったです。炭酸ガスレーザーによる肌の入れ替えは、欧米人のように色が白い人には非常に有効です。アジア人は色素沈着してしまうので、CO2リサーフェシングは出来ませんでした。アジア人にも使用できる肌の入れ替え機器であるフラクセルは画期的ですね。こちらではまだ使用する医師はあまりいないようです。

 もうひとつ興味深かったのは、ボトックスによるフェイスリフト法です。技術を学んできましたので、ご興味のある方はクリニックまでご連絡下さい。アメリカ人は最先端の新医療機器の開発に興味を持ちますが、ヨーロッパ人は、自分の持つ道具を工夫して診療をする人が多く、そういった点では工夫上手です。

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同じ皮膚科の学会でもEADVはアメリカのAADとはずいぶん違った雰囲気です。アメリカの学会はレーザー会社などが前面に広告を出していて、もっと商業的な雰囲気なのです。展示場の中です。このような展示がなされます。純粋に医師が症例を検討するという感じで、雰囲気はヨーロッパのほうが好きです。言葉のほうも英語が共通言語なのですが、お互い第二言語なので、表現が易しく、むしろ聞き取りやすいですね。

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会場から出てみると温度計がありました。昼なのにマイナス13度です。

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一日目はがんばってスーツで過ごしたのですが、ギブアップして二日目からはスキーウェアで参加しました。学会参加証がスキーウェアの上で浮いていますね。(笑)ホテルの前ですが、ノルディックのスキーに興じる観光客などがいて、スキー場では無いのですが、さながらゲレンデです。

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樹氷というのでしょうか。写真では見えないのですが、ダイアモンドダストが輝いて、とても綺麗でした。 

フィンランドはヨーロッパでは珍しい、アジア系民族の国です。たしか、ハンガリーのマジャール人と並んで、アジア系のフィン人の国家であると高校の時の地理の先生に習いました。

フィンランドといえばシベリウスの”フィンランディア“という交響詩が有名ですね。フィンランドは長い間スウェーデン内の自治領でした。そしてロシア軍の侵略によってロシア領となります。ロシア統治下でもしばらく自治は行われていたのですが、ニコライ1世、2世の時代になるとフィンランドの自治権は奪われました。そのためフィンランド内では愛国運動が起こり、その一環として歴史劇「いにしえからの情景」という劇が講演されるようになります。その中の交響詩として、フィンランディアという曲が作られたのです。

フィンランドはトルコと並んで、実はかなりの日本贔屓の国です。日露戦争で東郷平八郎が日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したことがきっかけとなり、ロシア革命に乗じて1917年に独立をはたしています。今回の滞在では確認できませんでしたが、トーゴービールというビールが存在するという話しを聞いたことがあります。交響詩フィンランディアは、やはりカラヤンが上手いですかね。彼は5回録音していて、64年と84年。初期と最後の演奏が良いと思います。

日本でもその美しい旋律からコンサートに取り上げられることが多いです。ちょっと趣味の世界に走っちゃいました。

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ヘルシンキの上空です。拡大していただければわかると思いますが、照明が光る夜景がとても綺麗でした。

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2006年2月10日 (金)

グレン・グールド

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ピアノのクラシック曲が好きで、多くのピアニストを聴いてきました。中でも特別お気に入りは、ディヌ・リパッティとグレン・グールドです。リパッティはステレオ録音がまったく残っていないので、その技巧の素晴らしさは想像つかないのですが、グレン・グールドは80年代まで健在だったこともあり、多くのCDや著作を残してくれています。

グールドの母は旧姓をグリーグといい、母方の曽祖父のいとこが高名なノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグであったといいます。音楽家の血が流れているのですね。彼はかなりの変人で、演奏会に気に入ったピアノを持ち込ませるのは当たり前で、ピアノを弾くときのいすの高さにこだわって、いすの足を切らせてみたり、それで膝が邪魔になると、ピアノ自体を台をつけて持ち上げさせたり、ステージが始まる前に、儀式のように腕から先を温水につけたり、主催者にはいろいろな要求をしました。当時でもかなりの実績を持つピアニストであったにも関わらず、32歳の時に、ステージから一切身を引き、限られた人間としか接触しなくなります。その後は1982年に50歳で他界するその二日前まで演奏活動を行い、スタジオでのレコーディングに徹しました。

音色が美しいピアニストならば、アラウやルプー。音色が真実なるピアニストならリヒテルやペトリが挙げられるとおもいますが、グールドは、技巧が優れている点ではリパッティやホロビッツに匹敵しますが、音色をそぎ落とし、音楽の骨格をむき出しにしたような、なんともいえない音色でピアノを奏でるのです。いわばわざわざ反ピアノ的な演奏をして、ピアノにそぐわないような音色を偏愛するのです。グールドの研究家でもあるフランスの精神分析学者ミシェル・シュネデールは、グールドの音楽に対する姿勢は神を知るための行為であったと表現していたのを思い出します。確かにグールドの演奏は神秘的なところがあります。装飾を一切省いた、はっきりと区切りがある、点描的な演奏とでも言うべきでしょうか。

初めて彼を聴いたのは、バッハの『インヴェンションとシンフォニア』でした。なぜこんなにも難しく(哲学的に?)バッハを弾くのだろうと思いました。なんと言ったらよいのか、普通なら速い速度で弾かれる部分を半分以下のスピードで弾いたり、その逆をわざとやったりするのです。クラシックの場合、新規性を求めて演奏をすると、品位が失われてしまうこともありますが、彼は非常にうまく作曲家の意図を演奏の中で中和させているのです。

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ゴールドベルク変奏曲も二回、録音していますが、聞き比べてみると、まったく曲が違って聴こえます。常に感性が変化しているのでしょう。平均律クラヴィーアも何百回も聴いたと思います。そうそう、平均律クラヴィーアで思い出すのはバグダットカフェという映画です。だいぶ前に観たのですが、なんの特徴も変哲もない、ある小太りのおばさんが寂れた街のカフェにやってきて、そのカフェをとても人気のカフェに変えてゆくのです。その映画のストーリーとはまったく関係のない挿入なのですが、ある黒人の男の子が、母親に怒られながら、バッハの平均律クラヴィーアを弾くのです。そう、アヴェマリアの歌詞もついている、ドミソドミソドミの曲です。最初は物凄く下手で、聴くのもつらいのですが、何回かこの子のシーンが挿入されるたびに腕が上達していきます。他にもストーリーと関係のない挿入があって、そのおばさんに好意を持つ絵描きのおじさんが、おばさんをモデルに絵を描き始めます。おばさんは最初は緊張した顔をしているのですが、シーンの挿入ごとに次第に心開いて、最後はヌードを描かせるまでになるのです。ストーリーは、ほとんどないのですが映像と音楽だけが鮮明に印象に残る、とても不思議な映画でした。

 

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グールドはバッハを好んだため(おそらくバッハの対位法的精神が彼の相に合ったのでしょう。)あまりにバッハのイメージが強いのですが、ベートーヴェンやモーツアルトのピアノ協奏曲、ブラームスのピアノ曲も得意でした。コンサートは絶対に開かなかったのですが、ラジオ、テレビ出演の演奏も多かったため、多くの演奏が残っています。CDのジャケットでは彼の端正な顔が見られます。カナダのトロントには彼のお墓があります。僕も8年ぐらい前にトロントに行ったときに彼のお墓を探してみたのですが、残念ながら見つけられませんでした。いつか訪れてみたいと思います。

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2006年2月 9日 (木)

医療と経営

大学を卒業して初めて外来に出て、診療することでお金をもらうということに、とても違和感を感じたのを覚えています。医者になる前は、「感謝されてお金をもらえるなんてなんていい商売なんだ」と勝手に想像していたのですが、社会的責任や、患者さんにとっての生涯を決めるような大きな局面で、医療という命に関わる知財を提供することで、お金をもらうというシステムが、どうしても割り切れなかったのです。名医として名高かった死んだ祖父が、息子たちを一人も医者にしなかったというのも分かる気がします。

 医療と経営は二律背反します。良い医療、特に最先端の医療を提供しようとすれば、経営面で病院はその組織の維持さえ出来ない状態になります。医師は心から良い医療を提供したい。しかし、病院を経営する人間にとっては、そんなことをやられてはたまらないわけです。診療の公共性を増すために、日本は利益の配分が出来ず、出資比率が経営決定権に関与しない医療法人なるものを作りましたが、そもそもこのような仕組みが経済市場の中で、うまく行くはずがありません。極論ですが、病院でお金を稼ごうと思ったら、盲腸の手術を素晴らしい手術で成功させて3日で退院させるより、失敗して術後感染させ、抗生剤を垂れ流して2週間入院させれば良いのです。

落ち着いて医療関係者が診療を行うためには、人間的な余裕が必要だと思います。それは時間的余裕、精神的余裕、そして経済的余裕です。今の日本の医師にこれらの余裕があるのでしょうか?極限状態で働かされている医師の中には不謹慎な発言をする人間も確かにいます。死に日常的に触れる事で、だんだん人間としての感覚を失ってしまうのです、いや、逆に失うようにしなければ自分の精神を維持できない場合だってあるのです。

大学病院にいた時に、ガンの患者さんに余命を説明している外科医師が、ショックを受けている患者さんに「ガンで死ぬのがそんなにいやかなー。僕なんて、もう死んじゃいたいけれど。」という言葉を口に出しているのを聞いて、耳を疑いました。彼の理論では、人間は所詮、致死率100%なのだし、ガンだったら余命があるので、その期間に身辺整理が出来る。脳梗塞や脳出血で突然死んでしまったら、それさえ出来ないでしょう。ということを言いたかったのだと思います。それにしても酷すぎますけどね。

ただ、自分もそうだったのですが、日常死に関わっていると、人間は必ず死ぬし、突然事故に巻き込まれることも多いから、いつでも死を受け入れられるというか、明日死んでもしょうがないか、という達観した気持ちになってきます。だから今日全力で頑張れるわけです。そういえば医者の平均寿命は他の職種より10歳近く、短いんですよね。無理して生活していることもあるでしょうし、精神的に参ってしまう人、手術中に肝炎の患者さんの血を浴びて、肝炎をもらってしまう人、X線造影をやりすぎて、白血病になってしまう人。身の周りにも何人も若くして命を落とした人がいます。医者も因果な商売ですね。

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2006年2月 8日 (水)

コールドリーディング

何も情報のない状態から相手の素性を当てるのをコールドリーディングといいます。これは占い師や詐欺師が行う手段で最近石井裕之氏の著作がテレビに取り上げられるようになって、再び脚光を浴びています。非常に面白いコミュニケーション手段だとおもいます。

悩んでいる人を見たら、まずは、占い師は、ほとんどの人がそうだと思えるセンテンスを用意します。ストックスピールというものです。心理学の実験ではバーナム効果、フォーラー効果と呼ばれるもので、以下のようなセンテンスが使われるそうです。

たとえば、「外向的で愛想がよく、付き合いがいいときもある半面、内向的で用心深く、ひきこもってしまうこともある外見は自信があるように見えるけれども、心の中はくよくよしたり不安になってしまう面がある」 であるとか、 「あなたは自分に対して厳しすぎることがある。あなたはどんなに頑張っても本当の悪人にはなれない人です。あなたのこれまでの人生はもらうよりも与えることの方が多かったですよね」

などなど。果たして、これらの文章が自分に該当しているかを問うと、被験者は高い率でYESと答えるわけです。

これを、我の強いMeタイプと協調性重視のWeタイプの2種類に大別し、それぞれにヒット率の高いストックスピールやそれを誘導する質問群を用意しておくのが世渡りの秘訣だということです。確かに自分のことを言い当てられると驚きますよね。もちろん、本当にスピリチュアルな能力を持った人もたくさんいて、その見分けが必要なのでしょうが。

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でもこれらの手法は、コナン・ドイルのシャーロックホームズがまさに達人でしたよね。シャーロッキアン(世界中に存在する、シャーロックホームズのマニア的研究家)もよく指摘するところですが、かれのコールドリーディングの技術は本当に卓越しています。

たとえば、皆さんも良くご存知だと思いますが、ワトソンと初めて会ったシャーロックはワトソンがアフガニスタン帰りだと言うことをいとも簡単に言い当てます。その推理の根拠を確かこんな様に語ったとおもいます。

ここに医者風で、しかも軍人タイプの紳士がある。無論軍医に違いない。顔は真っ黒だが、黒さが生地でないのは、手首の白いので知れる。してみると熱帯地帰りなのだ。艱難をなめ、病気で悩んだことは憔悴した顔が雄弁に物語っている。ついでに左腕に負傷している。使い方がぎこちなくて不自然だ。わが陸軍の軍医が艱難辛苦し、腕に負傷した熱帯地はどこだろう?無論アフガニスタンだ。

この推理力に感心したワトソンは、シャーロックの語り手として片腕になるのです。

でも、この話、ちょっと出来すぎですよね。日本のどこかにも、こんな話があったような気がしますが……。

シャーロック「ワトソン君、今年は桶屋が儲かると思うが、どうしてだかわかるかね?」

ワトソン「いや、まったく分からないよ。シャーロック、またどういった推理なんだね?」

シャーロック「いや、ワトソン君、いとも簡単な推理だよ。今年は風が強いじゃないか。風が吹くと砂ぼこりが出て盲人がふえる。すると盲人は三味線をひくために、三味線に張る猫の皮が必要でではないか。猫が減るとと、鼠がふえて桶をかじる。だから桶屋が繁盛するのさ。」

ワトソン「いつもながらの素晴らしい推理だね。流石だよ。シャーロック。」

チャンチャン。 どんな推理も飛躍をしてはいけません。 お後がよろしいようで。 (笑)

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2006年2月 7日 (火)

血液型と性格について

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血液型と性格について、書かれている俗本によるとおおよそこのようになります。A型はまじめで几帳面で、悪く言えば理屈っぽく融通が利かない。O型は感情優先のおおざっぱ性格。B型はひょうきんものでマイペース、時に自分勝手に映るため批判を浴びることもある。AB型は時にはA的自分とB的自分との葛藤の末の、天才・分裂肌。世界的には、西洋ではO型が多く、東洋ではB型が多いので、A型の多い日本は世界的にみると特殊な存在です。日本人について言われる様々な性格風土は言われてみれば農耕民族的な生真面目なA型と重なるように思えてきます。アメリカ人のあのような喜怒哀楽に富んだ自己表現もO型的特徴といえますよね。

でも、医学的には血液型と性格はまったく関係がないと言われています。脳と血管の間には解剖学的にはBBB(ブラッドブレインバリア)と呼ばれる関門があって、そもそも脳の中には血流がはいらないのです。性格を決めているのは脳でしょうから、西洋医学的には、関連があるはずがありません。ただし、脳の中の自律神経を支配している視床下部および下垂体と呼ばれる部分にはBBBが存在しないため、血液が脳内に入り込む可能性はあります。本能とか、情動に関しては、血液型が関わる可能性はありますよね。でも、こいつはA型に違いないとか、B型に違いないとか、なぜか分かるときが正直あります。ちなみに僕自身はO型ですが、僕が今まで付き合った女性は、選んだわけではなく、全員がA型なのです。友人はB型が多いです。何ででしょうか?

 おそらく、血液型はもともと持っている遺伝子のオリジンに関わっているのでしょう。アジア大陸的は遊牧民族であるB型、農耕民族の多いA型、そして狩猟民族のO型。各々によって食生活が違うので、血液型にあった食事をしたほうが良いと言われています。アメリカの自然療法医であるダダモ博士の本によると、A型は、肉、乳製品は極力避け、野菜や穀物を多く摂ると良い。B型は乳製品を中心に青菜、肉、卵、レバーなどを積極的に摂ると良い。O型は、肉中心の食生活だったから米で太るなどと言ったものです。これからの検証が必要ですが、面白い説だと思いました。

ところで、O型の血は蚊に刺されやすいというのを知っていますか?体温が高ければ、刺されやすいというのを聞いたことがありますが、O型が蚊に好まれるというのは化学的に構造式で説明できます。O型の血液には構造上、フルクトース(糖鎖)に近い構造があるのです。この論文を読んだときに、どうして友達と一緒にいても、僕ばかりが蚊に刺されるのか、よく分かりました。

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デンマーク・コペンハーゲン

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フィンランドのサ-リセルカというところのEADV(ヨーロッパ皮膚泌尿器科学会)出席のため、スカンジナビア航空で、コペンハーゲン経由でヘルシンキに入り、イヴァーロ空港からアクセスするという方法で、フライトを予約しました。ところが、フライトの都合で、どこかで一泊必要です。コペンハーゲンとヘルシンキを天秤にかけて、コペンハーゲンで一泊することにしました。機内より、朝焼けに染まる機体です。

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デンマークは九州よりもちょっと大きなとても小さな国です。人口もわずか539万人。グリーンランドが領地に入ります。デンマークで有名なものは、レゴ、童話のアンデルセン、カールスバーグのビール、そしてロイヤルコペンハーゲンの陶器でしょうか? 到着したのは大雪の夜。トランクを引きずって日本時間の真夜中というか早朝に何とかチェックインしましたが、そのまま眠ってしまいました。

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コペンハーゲンはわずか2km四方に見所がまとまっている小さい街です。日照時間5時間あまり。日ごろの運動不足を解消するために、この時間で回れるところを歩きまわろうと思いました。とはいえ、気温はもちろんマイナスで、早朝は寒いです。写真はデンマークの王宮であるアメリエンボー宮殿です。残念ながら、朝早すぎで、見学は出来ませんでした。 左に国旗が翻っていますが、マーグレーテ2世女王が在宮というしるしだそうです。

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有名な人魚姫の銅像まで(ちょっとはずれにあります)3kmあまり歩きました。この像は1913年にエドワード・エッセンという彫刻家によって作られましたが、後に首を切り落とされたり、2003年には爆破までされたりしましたが(そういえばテレビでやっていましたよね)、そのたびに修復されています。思ったよりもはるかに小さな像で災難続きで可哀想になりました。

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ニューハウンの街並になります。暖かかったらさぞかし美しいのでしょう。

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ローゼンボー離宮です。1605年にクリスチャン4世によって離宮として建造されました。以来、王家代々の遺物や、王座、王位を象徴する宝物が、ここに保管され、博物館として一般人の目を楽しませています。

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ちょうど軍隊の鼓笛隊の行進に出くわしました。

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コペンハーゲン大学の王立病院です。デンマークは、自然療法では優秀なリフレクソロジストを多く輩出しています。フェイシャルリフレクソロジーの創始者であるロネさんも、デンマーク出身です。

市内の病院では、西洋医学の医師と、自然療法士が力を合わせて診療にあたっています。現在フェイシャルリフレクソロジーが脳に与える影響を王立の予算で研究中だそうです。顔面の感覚神経路は三叉神経を通しているのは常識で、おそらくかなりの影響があると考えられます。研究の成果が発表されるのが楽しみです。

 

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シティホールです。中ではロックバンドが夜の公演の準備をしていました。夕方には昨日の雪が嘘のように晴れてしまいました。今日は10km以上歩いたと思います。 よく眠れるでしょう。明日はフィンランドに移動です。

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2006年2月 6日 (月)

アーサー王

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ある高名な占い師に、あなたはイギリスのアーサー王と前世で関連があると言われたことがあります。気になったので、アーサー王とはどんな人物だったのか、調べてみました。

アーサー王はブリテンの伝説の王。実在したとも言われるが真偽は不明ですが、完全に否定することも出来ない事実もあります。伝説によれば、アーサーは、「これを引き抜いた者は王となるだろう」と書かれた台座に刺さっていた剣を16歳にしてあっさりと引き抜き、魔法使いマーリンの助けで名君に成長しました。そして聖剣エクスカリバーを携え、円卓の騎士たちとともにブリテンを統一したと言われています。のちに円卓の騎士の一人であるサー・ラーンスロットと王妃グウィネヴィアの恋により、円卓の騎士団の崩壊という大きな挫折を経験します。さらに不義の息子であるモードレッドとの決戦で瀕死の重傷を負い、常若の島アヴァロンに連れ去られて傷を癒すところで、伝説は締めくくられます。

アーサー王の物語をモデルにした著作は多々あります。明治の文豪、夏目漱石が明治38年に発表した初期の作品『薤露行』(かいろこう)は、まさにアーサー王物語をほぼそのままモチーフにしたものです。アーサー王伝説に惚れ込む作家は海外にも多いのですが、アメリカのノーベル賞作家ジョン・スタインベックもその一人でした。1939年、大干ばつと耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた壮大な作品『怒りの葡萄』でピューリツァー賞、全米図書賞を受賞した人物です。怒りの葡萄は高校生の時に読みました。さらに彼は映画『エデンの東』の原作者としても知られますが、処女作『黄金の杯』などにはアーサー王伝説の影響が色濃いといえます。遂には、アヴァロンとされるグラストンベリに移り住民となりました。

ジョージ・ルーカスの映画『スター・ウォーズ』も神話がモチーフであると言われてきました。いわば、出自を知らずに成長し、使命をおびて故郷を捨てて旅立ち、よき指導者と仲間とともに巨大な敵を破り故郷に凱旋する主人公の物語です。エクスカリバーともいえる聖なる剣であるライト・セイバーを授かるルーク・スカイウォーカーをアーサー王に見立てる説も多くあります。旧三部作ではオビワン・ケノービがマーリンなのでしょう。アナキン・スカイウォーカーの新三部作も最終章でダースベーダーとなって転落する以外は確かに同じ構成ですね。

聖杯と聞くと、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』を思い浮かべます。ハリソン・フォードふんするインディ・ジョーンズが探し求めるのは、キリストが最後の晩餐で使ったとされる聖杯です。ダン・ブラウンの世界的ベストセラーでもある『ダビンチコード』でも聖杯について語られていますね。アラビアのロレンスとして知られるT・E・ロレンスは、聖書とともにアーサー王物語の文庫本をずた袋の中に入れて携帯していたといわれています。ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは、アーサー王にまつわる2つのオペラ作品を生み出しました。円卓の騎士の一人トリスタンを題材にした『トリスタンとイゾルデ』と、聖杯の探究をテーマにした『パルジファル』です。これだけ多くの作家や作曲家のモチーフになるのはその物語のストーリーが、普遍的に我々に受け入れられるからなのでしょう。

アーサー王とその騎士団が描かれた絵には、その旗印などに赤い竜が描かれています。龍の形をした軍旗としての吹き流しが描かれていることがあります。特に赤い竜は現在UK(英国)のウェ-ルズ地方の紋章となっています。言われてみれば、確かに僕がMBAを取得したWales大学の紋章も赤い竜でした。不思議な縁を感じました。

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2006年2月 5日 (日)

厚木基地

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米軍の厚木基地を見学する機会がありました。年末の六本木のパーティーで出会ったカップルが、厚木基地のNAVYのパイロットだったのです。仲良くなって、厚木基地を見学させてくれない??といったらあっさり許可が出ました。鎌倉市出身の僕としては、海軍の厚木基地と陸軍の座間基地は一度見学して訪れたいところでした。

基地に2時に来るように言われて、東名高速を飛ばしてゆきましたが、ちょうどそのときは、パイロットの演習時間だったのです。轟音を撒き散らせながら飛んでゆく戦闘機に興奮しました。

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招待してくれたRAZは基地では結構偉い人でした。格納庫にある戦闘機はF18スーパーホーネット 米軍最新の機体です。厚木 基地から房総半島沖の飛行訓練場まで、約 20分で到達するそうです。

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戦闘機というと映画のTOP GUNを思い出します。映画で使われたF14 TOM CATは可変翼の主翼を持つ機体でしたが、この厚木基地ではもう使われていないそうです。見たかっただけに残念でした。

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パイロットは機体のチェックに1時間ぐらいかけるそうです。このときにダラス・カーボーイズのスタジアムジャンパーを着ていったのですが、米軍の兵隊に、 肩をたたかれ、とってもクールだと褒められました。

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厚木基地のクルーはゴールデンドラゴンと呼ばれているのです。この機体にもゴールデンドラゴンのマークが表記されています。基地の中は、このマークが多く表示されていました。

最後にお土産だと行って、彼らが飛行中に撮影したDVDを戴きました。富士山横を飛ぶ機体の中から撮影したもので、まさにマニア垂涎のお宝でした。2時間ぐらいの見学時間でしたが、本当に有意義な時間をすごしました。

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