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2008年1月26日 (土)

理系の男

医学部に進学する人間は、僕自身も含め当然化学や物理、数学など理系の科目が得意な人間が多いものです。

その後医者になって大学病院に進むと、そこはもう(今思えば)理系のパラダイスです。

基本的に似たようなベクトルの考え方・思考の形成のされ方をもつ人間が研究職にも臨床にも技術にも大勢いますし、上司も同僚も部下も当然全員理系。自分の考え方を否定されることも特になく、疑問を持つこともなく過ごすことができるのです。

ところが、そのパラダイスから一歩出て

「開業」

という文系の牙城「経営」にも関わるようになると、実は世の中の半数以上は文系的思考の持ち主であり、その中で理系の人間は大変肩身が狭く、生きていく為には文系的な思考との刷りあわせを求められ、それが出来ないと非常に困難な道を歩むことになる

・・・ということを改めて目の当たりにします。

これが実に・・・

苦労するのですよ(苦笑)。

では

文系と理系の違いとは?

たくさんありますが、その中で最も僕自身が苦労し実感しているのは

文系の世界では「歴史」が重要で、その積み重ねによって今日がある、ということが根底にあるということ。

経営論でも

「孫子の教えでは・・・」

とか

「松下幸之助の哲学では・・・」

とか

はてまた

「ローマ帝国が滅亡したのは・・・」

とか

この手の話がよく出てきます。

そして、過去に何があり、それがどういう経過を辿って今日があるのか、そこが結構重要です。

すべての物事に“ストーリー”がある。

一方理系の世界では、「革新」とより合理的な「解」を導き出すことが重要なので、論理の構築や理屈は必要ですが、その「解」を導き出すことに必ずしも「昨日」は必要ではありません。エジソンやアインシュタインの功績は皆もちろん理解していますが、そこに立ち戻るということがあまりない。

むしろ昨日までの歴史が仇となり、それによって革新的な思考が妨げられる可能性もあります。

理系の人間に“ストーリー”は必ずしも必要なものではない。

これは、非常に大きな違いです。

小さなことで言うと、文系の人が医者や科学者、技術者と仕事をしてトラブルになるとき

「あの時こう言ったじゃないですか」

「あの時こういうふうに決めたじゃないですか」

文系の人から理系の人間は言われる、ということが起きるわけです。

このとき理系の人間は

「はて? そうだとして、だから一体どうしたというのだろう??」

自分がなぜ責められているのか 

どのポイントが悪いのか

これがよく理解できない。

あのときはそれがベストだと思った 

でも今はそうではない

あのときよりも合理的な「解」がわかった

なのに

なんで怒るのだろう? 

何が悪いのだろう?

むしろ喜ぶべき話では?

???

・・・ということになってしまうわけです。

しかしこれが大きな事態に発展すると

「あの人は自分が言った事をすぐに忘れる」

「あの人は約束を守れない人だ」

という“烙印”を押されてしまう。

これはツライ

実にツライ

自分は誠実な人間のつもりなのだが・・・

けっこう良いヤツのつもりなのだが・・・

いやいや、こんなことを書くとまるで僕が実際そう言われたことがあると誤解されてしまうじゃないか

こういうことがよく起きるのではないか? というフィクションですので。

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