倒されたモアイ
イースター島は小さな島といっても周囲58kmの島。基本的にはすべて車での移動になります。 イースター島は三つの火山によって成り立ちました。
それぞれの頂点が火山として、直角二等辺三角形の様な形をしています。その最も長い辺に当たる、南の海沿いを走ると、沢山の倒されたモアイを見ることができます。
森林を伐採してモアイ像を製作し、運搬にも木材を使用し、さらに人口が急増したため、10世紀ごろから島は食糧不足になり、争いが絶えなくなったと言われています。
先に書いたように、18世紀の中ごろ、お互いの祖先の象徴であり、守り神であるモアイを倒し合う「フリ・モアイ」というモアイ倒し内戦が勃発したようなのです。
どのモアイもアフとよばれる祭壇の上に、海に背を向けて立っていました。
モアイには作られた当時、目がありました。モアイの視線の先に村などの居住地があったようです。
大きさも様々。
絶海の孤島のイースター島には独自の文化がありました。
1722年のあるオランダ人の上陸を期に、島民は外圧にさらされます。
その後免疫を持たない伝染病をもつヨーロッパ人の来訪や、島民がアメリカやペルーなどに奴隷として連行されたため、1877年には島民がわずか111人にまで激減し、ロンゴロンゴと呼ばれる独自の文字を読める人もいなくなってしまいました。
さらに島の文化を徹底的に破壊したのはキリスト教の伝来でした。後に島に上陸したフランス人宣教師が、布教を妨げるとしてロンゴロンゴが記された木片をはじめとする文化財をすべて焼き払ってしまったのです。
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