金閣寺
学生時代、修学旅行の行き先に含まれていたはずなんですが・・・全く記憶にないのです。
いったいどこで何をしていたんだろうなぁ・・・。
しばらく考えてみたところ、ある文献を見てわかりました。
僕が修学旅行に行った昭和62年、金閣寺は金箔を張り直す作業を行っており、改修中だったのです。
道理で全く記憶にない訳です。
金閣寺。正式名称は鹿苑寺。室町幕府3代将軍足利義満が造営した北山殿がその前身で、黄金に輝く舎利殿(金閣)の存在により、「金閣寺」と呼ばれるようになったと言われています。
昭和25年に学僧・林承賢の放火により炎上した「金閣放火事件」と、その後、三島由紀夫の名作「金閣寺」がこの事件によって生まれたことは、あまりに有名ですよね。
改めてこうして金閣寺の建築を観察すると、パンフレットにもありますが、一階は寝殿造り風。二階は武家造り。三階は仏殿風なのです。さらにその上の屋根には鳳凰が飾られています。
洋の東西を問わずして、特に当時を代表する政教の権力者の造る建築物は、庶民に対しての宗教観や世界観の教育も兼ねていると言われていますが、今回よくそれがわかるように思いました。
キリスト教の巨大な教会や修道院、その彫刻もしかり、イスラム教のモスクもしかり。エジプトのピラミッドも、実は王墓ではなく、ナイル川の洪水や気候の予測し、教育するための天文台の役割をするために行われた公共事業だと言われていますよね。
おそらくこの金閣寺の造りは、一階の寝殿造り(天皇家)よりも、二階の武家造り(室町幕府)が上位に。さらに三階の禅宗の仏様がその上位にあるといった、建築者である足利義満が誇示したい世界の価値観を顕しているのでしょう。非常に興味深いと思いました。
頂上の鳳凰は何を象徴しているのでしょうね? まさか、足利義満本人?? 知っている人がいたら教えてください。
船の上に立つ帆が本当に立派な松でした。足利義満のコレクションであった盆栽を大きく育てたものと説明があったのですが、まさに巨大な盆栽ですね。
盆栽のように、(神に与えられた)自然物を、ある美意識の元あえて変形させるという文化は、日本に伝わる独特なものだと聞いていましたが、この松の前では思わず立ち止まり、しばし見入ってしまいました。
こうして実際訪れてみると、金閣寺がこの京都にあるのは不思議な気がします。もちろん素晴らしく、さすが日本の誇る世界遺産なのですが、この街との相性はどうなのだろう・・・と、ふと考えてしまいました。
しかしながら、わずかな時間でも今回来ることが出来て本当に良かった。
こうして、京都の街を歩き、寺巡りをするというのは、中学時代・高校時代を思い出すことにも繋がりますね。
大人になってみないとわからないものもたくさんある街ですが、わからないなりにも10代で一度見ておくことの大切さも、今では理解できるような気がします。
文化、芸術、歴史に触れ、自分なりに感じ考える時間というのは、本当に貴重ですね。
この後の仕事もうまくいきそうです。
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