初めての国 ルーマニアへ
春の学会シーズンはまだまだ続きます。
ワシントンDCから帰国してちょうど一週間後、ルーマニアで行われたヨーロッパ皮膚科性病科学会(EADV)の春季学会で演題を発表することになりました。
2005年にポーランドでレーザー治療の招待講演をさせて頂いて以来の東欧です。
ルーマニアは、Romania(ローマ人の住む土地)という名前の通り、東欧で唯一ラテン系民族の国です。
もともとラテン系の民族がローマ帝国の拡大とともに移住し、この地に住むダキア人と混血し、ルーマニア人の祖先になったといわれています。
南のワラキア、北西のトランシルバニア、北東のモルドバというもともと三つの国に分かれていたのですが、オスマン朝トルコを中心とした数多い異民族・宗教の流入で、複雑な文化が形成されました。
1881年にいったん王制を敷き、ルーマニア王国となりましたが、第二次世界大戦で、首都のブカレストがソビエトの赤軍に占領されます。
大戦後は、鉄のカーテン政策の下、東欧諸国の一員としてソビエト連邦の意向で共産党が支配権を握り、1965年より悪名高きチャウシェスクによる独裁政権が敷かれるのです。
89年のクリスマスにチャウシェスク夫妻が処刑されたのは記憶に新しいですね。この話は後のブログでも書きますね。
日本からルーマニアに直接入ることはできません。せっかくなので、ブルガリアの首都ソフィアを見学し、そこから鉄道でルーマニアのブカレストに入るルートをとることにしました。
航空会社はオーストリア航空を使いました。
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