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2009年7月21日 (火)

皆既日食と日本神話

ロシアブログの途中ですが、明日は皆既日食の日ですね。

東京では70%程度、太陽が欠けると予測されていますが、上海やトカラ列島などの皆既日食スポットに、旅行に行っている友人が何人もいます。

東京の天気はあまりよくなさそうですが、観たかったなあ。

考えてみれば、飛行機で沖縄まで往復するチケットを買っておけばよかった。

ダイヤモンドリングが見えるんでしょうか?

日食のときに使用するグラスが失明の恐れがあると報道されましたが、太陽光のうち、特に紫外線に近い短い波長を長いこと見続けていると、網膜の茶色いメラニン色素を破壊したり、熱変性を起こしてしまうケースがあるのです。

特に子供は夢中になって見てしまうでしょうから、注意が必要ですね。

閑話休題

日食というと僕が思い出すエピソードは、二つあります。

ひとつはコンコルドで皆既日食を追いかけた話。

太陽光が月によってさえぎられる皆既日食は、コロナやプロミネンスなどの太陽活動を観察するのに最も適しているといわれています。1973年6月にアフリカで見られた皆既日食では、専門研究チームがコンコルドで皆既日食を数時間にわたって追いかけたのだそうです。うらやましい。

もうひとつは、卑弥呼の死が日本の皆既日食と関連があるという話。

日本は古来より八百万(ヤオヨロズ)の神の信仰がありましたが、日本神話の中では、日の象徴である天照大神(アマテラスオオミカミ)が最も偉大な神。

そもそも日本の皇室は、大国主(オオクニヌシ)から、ヤマトの国を引き継いだ天照大神の子孫にあたるという説があるのです。事実、大国主は冥界の神になり、出雲大社でまつられていますよね。

おそらく古代日本でおこった政権の交代が神話という形になったのでしょう。

邪馬台国の生き神であった卑弥呼は、実は暗殺されてしまったと言い伝えがありますが、計算上、邪馬台国の時期に日食が二度あったのだそうです。

それが起源247年と248年。ちょうど卑弥呼が死んだとされる年代と一致するのです。

つまり、皆既日食が起こったたため、その時期に日の神であった卑弥呼が逆に民衆の支持を失い、殺されてしまった…。

実際にこの時に皆既日食がみられた地方は九州地方だけだったという読みもあり、これが邪馬台国九州説を後押する一つの要因になっています。

古代の日本に実際に何があったのかわかりませんが、悠久の歴史には、ロマンがありますね。

「海の神スサノオの乱暴に困り果てた日の神アマテラスが天の岩屋の中に閉じこもってしまい、高天原(タカマガハラ)が暗闇になってしまった。」という「アマテラスの岩戸かくれ」という神話がありますが、これもきっと日食の事実を語っているのでしょう。

天文の知識のない古代の人には、日食は生涯で一度見れるか見れないかという大きな偶然のイベント。さぞかし大きな出来事だったのでしょうね。

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コメント

ヒメです。初コメントしちゃいますね☆
卑弥呼が亡くなった年の皆既日食の話は私も聞いたことがあります。
同年は大変な飢饉の年だったとも。
今でこそどうして皆既日食が起こるのは科学で説明できている時代だけれど、昔の人ならやっぱり「神の怒り」と思っても不思議ではないですよね。
うーん、神秘的☆

投稿: ヒメ | 2009年7月27日 (月) 20時07分

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