エカテリーナ宮殿と琥珀の間
ここ数年間ロシアの離宮ツアーの人気が沸騰しているのですが、その契機になったのが、サンクトペテルブルグ300周年にあたる2003年に修復されたエカテリーナ宮殿 「琥珀の間」の公開です。
僕がこのエカテリーナ宮殿に行った日は、ロシア滞在唯一の雨の日。
しかし、この青の塗装が鮮やかなロシアバロック様式は際立っています。
このエカテリーナ宮殿ツアー、特に夏の観光シーズンはあまりに人気で人数制限があるため、個人客が訪れても中に入れないこともあるそうです。
雨とはいえ、このように時間待ちの人で沢山です。
宮殿の中は琥珀の間以外の部屋の写真撮影が許されていました。
ここはエカテリーナ宮殿の大広間。この金色に輝く部屋で、多くの歴史的な謁見が行われたそうです。
この宮殿の造りは、横一列に部屋が並ぶ仕組み。
この宮殿はエカテリーナの希望で、扉の高さが統一されていて、数多くの部屋が見えます。
そのくせ隣の部屋同士で天井の高さを変えたりして、建築家の遊び心も見えました。
この部屋の奥に見える赤い装飾は、この時代に珍しかったアルミの装飾。
隣の部屋にあった緑のアルミの装飾と対にな っています。
調度品もリチャードジノリやウェッジウッドなどの特注品ばかりでした。
琥珀はご存じのように木の樹脂が地中に埋没して長い年月をかけて固化した宝石です。
ちょうどロシアの目の前にあるバルト海沿岸で世界の生産のほとんどが産出されるのだそうです。
琥珀の中には昆虫が混入したものもあり、映画「ジュラシックパ-ク」では、琥珀に封じ込められた蚊の中から恐竜の血液を採取して、その中のDNAから恐竜をよみがえらせています。
生物学的には実際にはほとんど可能性のない話ですが、ストーリー展開の発想は夢があって素晴らしいですよね。
ガイドによると、1770年女帝エリザヴェータの命により造られたものの、第二次世界大戦中にドイツ軍により宮殿が占領され、1944年に彼らが撤退する際に、この琥珀の間は分解され、ドイツに持ち去られてしまったのだそうです。
しかも、ケーニヒスベルグまでの足取りはとれているのですが、その後蒸発してしまったのです。この初代の琥珀の間の部品はいまだに発見されず、さまざまな憶測を呼んでいるのだそうです。
写真が撮れませんでしたので、僕はパンフレットを買ってきました。
ちなみにWikiの中に写真を見つけましたのでこれを転用させていただきます。
いわば、壁中を宝石で取り囲んだような部屋。美しさに皆息をのんでいましたよ。
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