セントトーマス病院とイギリスの医療政策
ビックベンからテムズ川に向かうと、対岸に白い大きな建物が見えてきました。
セントトーマス病院です。
この病院は、医療従事者にはあることでとても有名な病院なのですが、ご存知ですか?
1854年にクリミア戦争が勃発し、ナイチンゲールが看護婦として従軍しました。
ナイチンゲールのその素晴らしい働きぶりは「クリミアの天使」と呼ばれ、「白衣の天使」の言葉の由来にもなっているのはご存知ですよね。
当時の兵舎病院では、戦争で負った傷よりも、兵舎の不衛生(による感染症)によって兵士が多く亡くなっていたのですが、ナイチンゲールが病院内を清潔に保つことの重要性を説いたのです。
フローレンス・ナイチンゲールが戦時中に集まった基金を元に、1960年にロンドンに作った看護学校がこのセントトーマス病院内にあるのです。専門教育を施した看護師養成の必要性を強く説いたのです。
ナイチンゲールの働きに大きな影響を受けた
とされるのは、国際赤十字を作ったアンリ・デュナン。
デュナンはこの功績により、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞しますよね。小学校の国語の教科書に書いてあったのを覚えています。
ロンドンのすごいところは、街を歩いているだけで、いろいろな歴史が絡んでくる名所がいたるところに見つかるところですよね。
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ところで、イギリスの医療政策の現状はどんな感じなのでしょうか?
イギリスと言えば、「ゆりかごから墓場まで」という世界に誇るキャッチフレーズの医療福祉政策を行ってきた印象がありますが、これは1990年代のサッチャー政権下に国民保健サービスコミュニティーケア法(NHS)が成立してから、市場競争原理を医療の分野に導入します。
低医療費政策により、通常の病院にはレントゲンなどの基本的医療機材の配備もなく、専門医療を受けるための手術の待機待ち患者が100万人。待ち時間も1年間を超えるなど、深刻な影響を及ぼしました。
イギリスのOECD加盟国のGDP比医療費率は低下の一歩をたどり、2000年には先進国の中でももっとも低い7.3%(2番目に低いのは日本です)となりました。
このあおりを受けて医師不足、看護師不足を招き病棟が維持できなくなり、医師ばかりか患者が海外に流れるといった、医療流出を招きました。
ブレア政権になってから、医療に市場競争原理を導入する政策の間違いに気付き、医療費を1.5倍にしてEU諸国の平均に引き上げ、「医療費抑制の時代」から「評価と説明責任の時代」へかじ取りを行っていますが、いまだに待機待ち医療患者の数は多く、医療へのアクセスが大変低下している状態です。
一度「医療費抑制政策路線」をとって、崩壊した医療は、なかなか戻せないということですね。
今後も国外に出張した時には、その国の医療政策をまとめてゆきたいと思います。
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