フィレンツェの美術館
フィレンツェは他にもたくさんの美術館があります。
アカデミア美術館には、何といってもミケランジェロの傑作であるダヴィデ像があります。
彫刻の裏まで回れましたので、いろいろな角度からのダヴィデ像を見ることが出来て楽しかったですよ。
コンパクトでしたが、個人的にはとても気に入りました。
こちらにはこのサンマルコ修道院の修道僧であったフラ・アンジェリコのフレスコ画である、「受胎告知」があります。
マリアの懐妊を告げる大天使ガブリエルと、その告知を驚きながらも真摯に受け止める聖母マリア。
たくさんの金箔が圧巻の見事な絵でした。
前日に観たウフィツィ美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」と並んで、受胎告知を題目としたものとしては世界的に評価の高い絵ですよね。
フィレンツェに数多く残された美術品は、ルネッサンスを後押ししたメディチ家の功績につきます。
メディチ家はその名前の通り、医者か薬問屋の祖先をもっているのではないかといわれています。
メディチ家の紋章の中にある赤い丸も、丸薬(もしくはメディチ家が財を築いた銀行業を表わす貨幣という説もあり)を表わすものではないかといわれていますよね。
メディチ一族に多いコジモという名前も、医師と薬剤師の守護聖人であり、4世紀に実在した双子の医師である、聖コスマス(Cosmas)と聖ダミアヌス(Damianus)の聖人コスマスから由来しているのだそうです。
コスマスとダミアヌスは奇跡的な治療をいくつも行ったとされていて、二人は医学の聖人に格上げされました。
二人の聖人の絵はたくさんの画家によって残されています。
ここサンマルコ美術館には、二人を題材にした、フラ・アンジェリコの「助祭ユスティニアヌスの治療」という絵がありました。
これは聖コスマスと聖ダミアヌスが、壊疽になった助祭ユスティニアヌスの足を切り落とし、事故で死んだ他人の足を移植して治療しているところの絵なのだそうです。
もちろん中世の医学では、脚を移植するなど夢物語でしたが、このように機能廃絶してしまった身体の一部を、健常なものと入れ替えようとする考えは、昔からあったのだと思います。
この時代の絵画は、まさに民衆とキリスト教の教義を繋ぐメタファーとしての役割を果たしていたのでしょう。
もともと巡礼した旅人を泊める巡礼教会を表すホスピスの語源となった修道院が、言語としてもホテル(宿泊施設)やホスピタル(病院)に変化していった事をみれば分かるように、修道院が実際に、現在の病院や医学研究所の様な役目をしていた時期もあります。
そういえば、遺伝の法則を発見したメンデルも、カトリック修道院の司祭でしたよね。
修道僧としてこのサンマルコ修道院に暮らしていたフラ・アンジェリコにとって、この医療に携わる聖人の物語は最適な画材だったのでしょう。
思えば現代医学の一端を担う、臓器移植や、輸血に至っても、医学の歴史の中ではきっと数々の危険極まりない実験に近いことが行われてきたのでしょうね。医学は多くの犠牲の上に成り立っているのです。
ちなみに臓器などの移植手術が可能になったのはずいぶん遅く、20世紀になってからのことです。
血管吻合および血管移植の技術が発達し、さらに移植後に起こる拒絶反応を抑える免疫抑制の技術ができてからのことなのです。
血管縫合、血管および臓器移植の功績に対しては1912年にフランスのアレックス・カレルがノーベル医学生理学賞を受賞しています。
医学の歴史の厚さをひしと感じる瞬間ですね。
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