サンタンジェロ城とパンデミック
パンテオンから、4つの噴水があるナヴォーナ広場を抜けて、僕はサンタンジェロ城を目指しました。
テヴェレ川を渡るときに、とてもきれいなサンタンジェロ橋があるのですよね。
このあたりの景色はフォトジェニックで、大きなカメラを抱えた人がたくさんいます。
確かに素人の僕でも写真を撮りたくなるようなアングルがたくさんあって、にわかフォトグラファー気分でシャッターを何度も切ってしまいました(笑)。
サンタンジェロ城は、イタリア語で書くとピンと来るのですが
「Castel Sant'Angelo」
つまり、“聖天使城”というわけです。
城の名前の由来は、590年のフランスを中心としたペスト大流行の際、この城の上に大天使ミカエルが現れ、剣をさやに納めるしぐさをすると、間もなく流行が治まった・・・という伝説によるのだそうです。
城のてっぺんには剣をさやに納めるミカエルのこの像があります。
今世紀に至るまで、ペストの大きなパンデミック(伝染病の世界流行)は三回起こっているといわれています。
一度目はこのフランスを中心としたファースト・パンデミック。
セカンド・パンデミックは14世紀。中世の黒死病として知られるもの。
サード・パンデミックは1855年に中国を発症としてインドなどにも波及したもの。
ペストは致死率30%以上の恐ろしい病気。都市どころか、国の人口比率を大きく変えてしまい、国の明暗を左右することもありました。
病原菌の同定が可能になったのは、1894年のこと。
当時、伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)の所長であった北里柴三郎が、政府の依頼でペストが蔓延していた香港に飛び、そこで行った研究の功績です。北里柴三郎というとドイツに留学して破傷風菌の発見や血清療法などの功績で、第一回ノーベル賞の人選にも挙がった日本の医学の祖の一人ですね。
研究者として、医師として、そして海外と関連があった人物として、ぼくが尊敬する人の一人です。
ちなみに僕が医学博士号を取った後の、大学病院医師としての最後のキャリアは、北里柴三郎が初代所長を務めていた東京大学医科学研究所の附属病院の大学助手(現在は助教)でした。
実は僕には国家公務員だったキャリアもあるのです(笑)。
白金という高級住宅街の中にある、レンガ建ての歴史を感じさせる建物。秋には紅葉したイチョウ並木の中で、銀杏が沢山とれたんですよ。いい思い出です。
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