ドブロブニクへ
ツァヴタット(CAVTAT)の港を歩いていると、こんな看板が。
よく読むと、ドブロブニク行の船ツアーなのです。幾つかのツアーを物色して一つの会社を選ぶことにしました。
港で待つと、いくつも船がやってきます。
僕はこの船を選択し、ドブロブニクまでの約1時間の船旅に行くことにしました。
こんな景色が続く中、ドブロブニクの街を囲む城壁が見えてきましたよ。
ドブロブニクの街並みの写真ですが、どの場所もとても絵になるフォトジェニックな場所なのです。
現在でこそ、こんなに観光客が集まる平和な町ですが、ドブロブニクの街は、クロアチアの飛び地で、元ユーゴスラビアの一部でした。
僕は大学受験の時に、好きだった世界史と地理を選択したのですが、
地理の先生が、ユーゴスラビアは
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」
を持つ、きわめて複雑な国家だと話していたのをよく思い出します。
もともとこのバルカン半島という土地は、長い歴史上でもスーパーパワーが常に小競り合いをする土地。
第一次世界大戦の勃発のきっかけとなった650年も続いたハプスブルグ家の末裔で、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であったフランツ・フェルナンド大公がこのすぐ横にあるサラエヴォ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)で暗殺されたことに端を発しますよね。
ソ連の崩壊によって始まった、ユーゴスラビア連邦の分離独立戦争であった、
クロアチア内紛は、1990年から始まりました。
1991年にクロアチアが独立を宣言するも、結局1995年の終結まで泥沼の戦場となり、大量の死者と難民を出しました。
わずか15年前の話です。歴史は常に動いているのを感じますね。
この旧ドブロブニックの城壁を出ると、横にはFort Lovrijenacという砦があるのです。
城壁を振り返るとクロアチアの旗が見えます。
以前はこちらには来なかったのですが、今回は砦まで山登りすることにしました。
こんな海沿いの道を登ってゆきます。
砦の中に入り、入場料を支払って、中の暗い階段を登ること数分。
目の前にいきなり、こんな景色が飛び込んできました。
この砦は、地元の人によると、「アドリア海の真珠」ドブロブニクが、最も美しく見渡せる所だったのですよ。
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