ミュージカル 「ジーザス•クライスト=スーパースター」
この夏に観たミュージカルの話をもうひとつ。
今年は自由劇場で、劇団四季のミュージカル「ジーザス•クライスト=スーパースター」の再演が行われ、行ってきました。
このミュージカルは僕の最もお気に入りの作品の1つ。
今回は結局、四季のエルサレム ヴァージョンと、海外でも評価が高いジャポネスク ヴァージョンの両方を観に行ってしまいました。
「ジーザス•クライスト=スーパースター」は、イエス・キリストつまりジーザス・クライスト最後の7日間を、「裏切り者」とされているユダの視点から描いた“ロックミュージカル”です。
1970年代以降のロンドンミュージカルの第一人者であるアンドリュー・ロイド・ウェーバー (Sir Andrew Lloyd-Webber)が、初期の名コンビであった作詞家ティム・ライス (Sir Tim Rice)と最初に組んで制作したミュージカル。
信じられないことに、二人はまだ20代前半の若者でした。
ティム•ライスは、将来作家になったらユダを主人公にした物語を描きたいと、まだ15歳の時にすでに思っていた、とインタビューに答えている映像を観たことがあります。
ヨーロッパの中心でイエス•キリストについての新しい解釈のミュージカルを作ることが、いかに大胆で勇気があったことか、なかなか想像できませんが、若さならではの反骨のエネルギーにもあふれていたのでしょう。
当然ですが、作った当初は、ロンドンの演劇プロデューサーにことごとく制作を断られ、仕方なくウェーバーとライスは舞台上演の夢をひとまず先送りにし、ストーリー性をもった歌曲の作品として1969年にEPシングル「Superstar」を発表します。
ちなみに「スーパースター」という言葉はちょうど約40年前に使われだした斬新な言葉だったようで、それがジーザス•クライストのイメージにまさに合致したため題目に採用したのだと、後に語っています。
翌70年には「Jesus Christ Superstar」と題した2枚組LPレコードをリリース。
特に有名なこの「スーパースター」の曲。一度耳にしたら忘れられませんよね。
ジーザス役にはなんとディープ・パープルのリードボーカルであったイアン・ギランを迎えて製作されたもので、販売枚数は300万枚を超え、1971年ビルボード年間アルバム部門で1位となる大ヒットとなりました。
このヒットが念願のブロードウェイでの上演の道を切り開きます。マーク・ヘリンジャー劇場における71年の舞台化に繋がるのです。
ブロードウェイでは1973年まで上演、ロンドンでは1980年まで上演が続きました。
初演からすでに40年も経っている舞台ですので、多くのヴァージョンが存在するのですが、どの舞台もイエスの使徒の一人でありながら、イエスを僅かな銀貨で売った「裏切り者」と歴史に名を刻まれている「イスカリオテのユダ」の苦悩の独唱から始まります。
民を救う聖職者としてエルサレムの都に入ることを決心した、青年ジーザス。
しかしながら、ユダはジーザスに対する民衆の期待があまりに大きすぎて、その期待が裏切られたと民衆が感じた時には大きな失望となるだろう。
さらにジーザスの存在がローマ支配下にあるユダヤ人社会を揺るがす危機として認識され、命を狙われるだろうということを見抜き、ジーザスの将来を危惧し、進言するのです。
ここにはユダのジーザスに対する誰よりも深い愛情と、他のどの使徒よりも深い理解があります。
ジーザスが危険な状況に追い込まれることをいち早く察知して、警告を繰り返し、結果として裏切り行為を働くこととなるという解釈で演じられるのです。
一方でジーザスは、聖書に書かれている様な多くの病人を治すといった個々の奇跡を繰り返しつつも、教団主導者に必要である計画性を欠き、聖者としての名声の上に新しい方向性を見いだすことができないでいます。
周囲の自分への熱狂と過度な期待に戸惑い、時に怒り、なげやりになったりするのです。
このような内容は、特にキリスト教信者からみるとあまりにセンセーショナルな内容でした。
71年の公開当時から相当なバッシングと反対運動を受け、劇場が放火されるなどの事件も起こりました。
しかし、そのような事件も含め全ての関連事項が話題を呼び、「TIME」の表紙を飾るほどの社会現象となりました。
その「TIME」の表題も 「Jesus Christ Superstar Rocks Broadway」
Rockはここでは動詞として使われていて、
「動揺させる」
「(価値観を)揺り動かす」
と解釈すればいいでしょうか。
キリスト教が生活の中に根付いている欧米社会の中で、世界史上最大のベストセラーである聖書の一般常識では、神の子であるイエスが人間界で裏切り者のユダを赦し、神としての存在意義を確固たるものにしたのだと思いますが、
このミュージカルでは12人の使徒のうち、ユダだけが真実に気づいていて、混乱している一人の人間であるジーザスを救うために進言を続けるのです。
キリスト教という宗教は、ある意味「ユダの裏切り(とそれに関連する最後の晩餐)」と「イエスの磔」という二つの大きな“イヴェント”が起こらなければ、現在までは存在しなかった可能性もあるといわれています。
このミュージカルでは、結果としてイエスを裏切ってしまったことに良心を苛まれてユダが首を吊って命を絶つシーンで
「あなたは、私を利用されたのだ。なぜ私を選んだのだ。」
という言葉を残すのです。
ちなみにこのミュージカルでは、エルサレムの乾いた砂漠の中でジーザスの磔のシーンで舞台が終わり、神を連想させる3日後の奇跡の復活のシーンはありません。
あくまで一人の人間としてのジーザスを描いているのだと思います。
僕はいつだったか初めてこのミュージカルを観た時に、衝撃と感動でしばらく席から立つことができなかったのを覚えています。
このミュージカルは劇団四季で73年に浅利慶太さんの演出により初演され、以来約40年。オリジナルの日本語の歌詞もすっかり板について、日本語ヴァージョンでも十分に楽しむことができるようになっています。
DVDもCDもこの通り、数多く販売されていますし、今後も歌詞や表現方法が様々に変化をしてゆくのでしょうが、国内外で再演されるたびに劇場に足を運びたいと思っています。
もしも観ていらっしゃらない方がいたらお奨めします。
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