■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(26) 大日本帝国と大英帝国 日英同盟 ロンドン ナショナル・ポートレート・ギャラリー
おはようございます。
今日3月5日はクリニックFの診療日です。
予約表を見ると朝から沢山の患者さんが入っているようです。ありがたいことです。
冷たい雨の中御来院くださる患者さんにおかれましては、どうか道中気をつけてお越しになってください。
さて、僕のブログ「新国際学会周遊記」では、引き続き年始に出掛けたヨーロッパはロンドンの話をお届けします。
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僕は、明治時代や大日本帝国時代の日本の歴史書を読むのが好きで、今回も何冊かロンドンで読もうとスーツケースに詰めていました。
外国・・・特に英国のような国で、読書に耽り日本の歴史について改めて視点を変えて考える、という作業が好きなのです。
幕末に比較して大日本帝国の時代が題目になりにくいのは、特に戦後、大日本帝国時代の賞賛がなされなくなったと言うこともあるのでしょう。
とはいえ、大日本帝国については、その失敗も含めて仕事人としてとても学ぶべきことが多いのもまた事実です。
現在は、日本の政治力、外交力ともに失墜していると評価されていますが、そもそも国家を揺がす様な危機において、過去の歴史上、民主主義政治が上手く機能したことはありません。
ギリシア、ローマ、王政後のフランス然り。
民主主義による、民意をくみ上げることで、国家存亡にかかわる様な大局を見極めた選択などできない、ということかもしれませんね。
そうした場合、国家の崩壊が起こるか、専制的な政治形態となって国家の立て直しが計られるか、歴史上ではその二通りしか選択肢は無いのです。
民主主義は、平和が長期間続く中で唯一存続できる特殊な政治形態でもある、といえるのでしょう。
大日本帝国の前半の期間、特に興隆期は、国家の危機に対して、政府の主導力と外交力が極めて上手く機能した時期と言えます。
選択肢を一つ間違えてしまえば、列強の餌食になる時代。
世界の極地までがほとんどが植民地化され、アジアの国家で日本以外に独立を保てたのは、英仏二大列強の緩衝地帯となったタイ王国ぐらいでした。
当時の大日本帝国は、廃藩置県により大名の既得権を国家に集中させ、中央集権国家をいち早く作り、特に製糸業、さらに紡績業の自国の産業を官主導で発達させて、輸入による借入金を超過させずに国家財政を支える政策を作り、他国の介入を退けました。
この時期のアジア諸国は、鉄道や工場などの自国のインフラを、列強を始めとした他国の出資で整えてしまったがために、その後の利益を吸い上げられ、国家予算につけいる隙を与えてしまった国がほとんどだったのです。
さらに明治政府は、20世紀初頭に国際関係史において、「名誉ある孤立」戦略をとっていた大英帝国との間に、1902年に日英同盟を結ぶという偉業を達成します。
この日英同盟は、近代国家となってわずか30年の日本が、国家として初めて結ぶ同盟でした。
しかも相手は世界一の超大国であったイギリスです。
この同盟は大日本帝国だけでもなく、当時の大英帝国の戦略からしても必要な同盟だったのです。
当時英国は、海軍において「二国標準主義」を採択していました。
これはつまり、世界各地での戦力比で、イギリスが世界第1位の海軍力を持つだけではなく、さらに第2位、第3位の海軍力の合計よりも上回ることを条件としたということです。
当時、唯一東アジアの海域においてイギリスは、第2位と第3位のロシアとフランスの海軍の合計を上回る軍事力を保持しておらず、しかも露仏は同盟を結んでいました。
東アジアの海域で一定以上の海軍を保有している国は、清国か日本であり、1894年の日清戦争で勝利し、新たなアジアの盟主となった日本に白羽の矢がたったのです。
この日英同盟は、日本の外交史において、現在でも光り輝く偉業と評価されるのは当然だと思います。
日英同盟は、1904年の日露戦争、さらに1914年の第一次世界大戦でも優位に働き、二つの大戦の勝利の大きな要因の一つとなり、日本も国際的な立場を確立することにもつながりました。
反対にこの同盟は1921年に、ワシントンで結ばれたアメリカ、フランスとともに四か国条約で、発展的解消ということで消滅します。
この四か国条約は、そもそも日本とイギリスの結びつきを快く思わない当時のアメリカの策略だったという説も聞いたことがあります。
いずれにせよ、明治維新以降世界史に例のないぐらい他国との戦争に連勝した大日本帝国は、日英同盟消滅後には後半期に入り、陰りを見せはじめます。
皮肉なことに、民主主義を掲げた政党政治の名の下で、内閣総理大臣がほぼ毎年代わるようになり、指導者不在のまま、国民の総意で国家の存亡をかけた太平洋戦争~第二次世界大戦へと舵を切ってしまうことになるのです。
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100年前の大日本帝国と大英帝国の関係を思いながら、当時の英国の香りを探しに街を散策するのは、至福のときです。
当時の大英帝国が、国家威信をかけて名画を集めた美術館と言えばナショナルギャラリーですが
実は隣接して、肖像画に特化した美術館があるのをご存知ですか?
ナショナルポートレートギャラリーという美術館です。
イギリスを代表する偉人の肖像画が展示されているのです。
顔、顔、顔ばかり。
このナショナル・ポートレイト・ギャラリーでは肖像画像の検索もできます。
こちらが日英同盟の英国側の調印を行った外務大臣Henry Charles Keith Petty-FitzMauriceのポートレイトです。
デフォルメされていますが、英国紳士然とした風貌ですね。
この人が日本の命運を動かした、日英同盟締結に関わった人物の1人なのです。
ギャラリーには、有名な政治家の絵画や写真なども沢山あるのですが、とても楽しいですよ。
女優さんの肖像画の部屋が特に人気でしたね。
ギャラリーを出て、目の前のトラファルガースクエアにて。
ちょうど中央に注目です。
この位置からだと、ライトアップされているビッグベンも見えるのです。
ロンドン五輪のカウントダウンもなされていました。
オリンピックは今年の7月ですから、もういよいよですね。
トラファルガースクエアから、歩いてロイヤルオペラハウスに向かいます。
夜のチケットを取ってあるのです。
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