■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’34 カフカの家 30年戦争 ウェストフェリア条約後の世界情勢
おはようございます。
今日11月9日(金)は、クリニックFの診療日です。
昨日の休診日も引き続き、工学部大学院で投稿論文の校正作業に終日入っていました。
レビューワーの指摘を一点一点ディフェンスしていくのですが、ものを作るサイドにいる工学と、作られたものを利用するサイドにいる医学とは視点が全く違いますね。
非常に勉強になる反面、とても苦労するところでもあります。
今週日曜日から、今年最後のヨーロッパ(イタリア)出張が入っており来週一週間作業ができないのはちょっと辛いところですが、頑張ってぎりぎりまで努力してゆきたいと思います。
さて、ブログ「新国際学会周遊記」は、プラハ城の続きです。
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プラハ城は30年戦争が始まるきっかけとなった場所です。
30年戦争とは、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争。
「最後の宗教戦争」、「最初の国際戦争」などと形容されていますよね。
1617年にボヘミア王となったフェルナンド2世は、熱心なカトリック教徒として新教徒を弾圧します。
その仕打ちに怒った民衆が、翌年プラハ城の窓から国王顧問官ら3名を突き落とすという事件を起こすのです。
こちらが問題の部屋にあった説明図。
そして文章です。
この部屋の写真は撮れなかったのですが、窓からの景色は写真を撮りました。
こんな景色の場所に突き落とされてしまったのです。
神聖ローマ帝国を軸に始まった30年戦争は、ハプスブルグ家とブルボン家などの王朝家系の代理戦争に発展し、フランス革命に続くヨーロッパの時流を大きく変えたといわれています。
欧州史上、非常に興味深い戦争ですよね。
1648年に結ばれた多国間条約であるウェストフェリア条約によって終結しますが、この講和条約はヨーロッパに新たな国際法のシステムを作り上げました。
さらに神聖ローマ帝国の中で戦場となったドイツの国土は荒廃し、その結果、約300の領邦国家の分立状態が確定するようになり、イギリスやフランスなど早期に統一国家を作った国々との争いに出遅れることとなるのです。
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このプラハ城の一部に黄金小道と呼ばれる路地があります。
この一角にフランツ・カフカの仕事場があるのです。
高校生の時に「変身」を読みました。
カフカは現在、ジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と評価をされているのだそうですよ。
こちらの小さな家でカフカが執筆作業をしていたのだそうです。
この小道を出ると、プラハ城はおしまい。
小高丘を下りながら、カレル橋に向かいます。
美しい街並ですね。
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